2010
 
   「和を駆ける」
(親子自転車旅編)
自転車で行ってみよう
東京の戦跡・資料館など
 


今までになく厳しかった夏、いかがお過ごしでしたか?


ご無沙汰しております。一昨年、昨年と続き、今年も平和な世の中に感謝すると同時に、

その大切さを忘れない思いを込めて て参りました。

今年は、初の親子自転車「男旅」、私事で恐縮ですがご報告させて頂きます。


決して政治的、宗教的なアクションではございません(笑)小学生の夏休み自由研究の
一環としてでもお考えください。親のエゴにつき合わせられている可哀想な小学5年生を
哀れみながら気楽に見て頂けたらと思います。



広島~長崎

 

                     

 では旅のヒトコマを紹介させて頂きます。

上記画像は、昨年、しまなみ海道で瀬戸内海縦断し、広島にゴールした時の様子です。昨年は娘も一緒に走りましたが今年は、「男旅」となりました。ちなみに上記写真、今夏、板橋区で開催された「戦後65年 板橋区平和都市宣言25周年記念事業 平和絵画展」(平和写真コンクール)で板橋区区議会議長賞を頂戴し、賞金と立派な賞状を頂戴致しました。ま、その時、私と息子は台風と格闘しながら長崎を目指している真っ最中でしたが・・・・・・。

 

広島は、三度目ですが、出発前に平和記念資料館で再度、原爆における惨状を目に焼き付けて参りました。




広島の原子爆弾です。外国人の方々の見学が目立ちました。今年、メディアでもよく取り上げられていましたが、広島、長崎における記念式典への外国人要人の参列は、非核への道において大きな意味をもっているのではないでしょうか。

                                広島平和記念資料館




さて昨年のゴール地点 広島 原爆ドーム前から長崎 平和祈念像に向けていよいよスタートです。お、なんと自転車はスポーツサイクルではなく、普通のシティタイプではありませんか・・・・。ハードはどうでもいいですよね?問題はソフトの部分ですから。とは言うもののずっとロードタイプなどで旅してきた私はちょっとしんどい。昨年、一昨年もミニチャリでした。シティタイプで走行するのにはそれなりの意味があります。小学生が日本の道路事情の中、長距離を走行するには残念ながら車道を走行するには安全面でのリスクが高すぎて、精神的によくありません。だからと言って段差の多い歩道の走行は、700Cなどのスポーツモデルタイヤには不向きで・・・・・。長年の経験から小学生の数百キロぐらいの走行なら、前述した内容を勘案して、シティタイプがベストになる場合もあります。ただもし、最後にもう一度、「男旅」することがあれば今度はスポーツタイプをチョイスして二人で駆けたいと思います。やっぱ、しんどいっす・・・・。




 




ルートはこんな感じです。地図で見る限りは、大したことないのですが・・・・・。




四国松山近くの梅津寺駅近くの民宿?です。「ぼっちゃん」でお馴染みの松山市内にはたくさんの宿泊施設がありますが、松山港近辺にはまったくありません。少なくともネットでは見つけることができませんでした。自転車なのでコースからあまり逸脱しない地域で宿を見つけることにいつも苦労します。この宿は、梅津寺駅に電話を直接かけ、その駅員さんが色々と調べてくれて確認がとれた地域で唯一の宿になります。現地を訪れたとき、梅津寺駅に立ち寄りましたが、駅員さんにはお会いできませんでした。でもこんな人とのつながりが旅のおもしろさだと思っております。ちなみに梅津寺駅は「東京ラブストリー」の最終回のロケ地だそうです。ホームが海に面している素敵な駅ですが、私はそのドラマをみていないので、どのようなシーンだったのかはわかりません。

                                   梅津寺駅

個人情報保護法違反・プライバシー?の侵害(笑)ですが、初日からクタクタ状況の倅です。着替えぐらいしろよ、って感じでしょうか。この日は到着する時間がわからなかったので、夕食を用意してもらうことはしていませんでした。途中で、食料を入手する予定でしたが、考えがあまかった。今までも何度も経験していることですが、食料を販売している店がないんです。あっても数キロ先だったりして・・・。自転車じゃ往復する気にはなりません。もちろんコンビニなんかありませんよ。今宵は高浜という小さな駅の売店で菓子パンとポテトチップを購入して、宿でそれを夕食にした次第です。それでも倅は、「パンパーティだ~」とはしゃいでおりましたが・・・・。その後、すぐに画像の通りになった次第です。



苦労して探した宿にはそれなりの趣がいつもあります。客は誰もおらず、建物は古く、風呂もお世辞でも綺麗とは言えない。でも海を見ながらの和食の朝食、それも座敷貸切状態で・・・、いい感じです。若いときはシュラフ(寝袋)一枚で、どこででも寝ていましたが、いつか宿をめぐる旅もしてみたいと思います。宿の老主人、口数は少なく、愛想もありませんでしたが、色々と気をつかって下さり、その暖かさが嬉しかったです。翌日には写真をとって我々を送り出してくれました。




瀬戸内海にそって西へ向かいます。台風9号の影響で、前半から、かなり厳しいツーリングとなってしまいました。自転車旅で一番避けたいのは、雨でもなく、雪でもありません。ただただ「向かい風」だけ。ま、上記画像、早朝のスナップなので、まだ余裕のよっちゃん顔ですが・・・。




東京でも自転車交通事情は悪いですが、地方は、一部を除いて、もっとひどいです。東京は歩道がありますが、地方は車中心なので、歩道がない幹線道路などザラです。まして自転車専用道路など皆無に等しいです。ですから数キロにわたる長いトンネルを抜けるような場合、命がけになります。もう少し、自転車が安全に走行できるようなシステムを全国レベル構築してもらいたいと思います。環境にやさしい、エコロジーなどなど自転車の素晴らしさはもうわかっていますから、その自転車が安全にみんなが使用できる道路行政を行ってください。日本の現状は、25年以上も前に訪れたオランダの自転車交通環境よりも未だに遅れています。上記画像、地方には珍しく幹線トンネルそばにつくられた自転車専用トンネルです。予算でもが余ったのでしょうかね・・・。




四国 愛媛県八幡浜から九州 大分県臼杵までのフェリー乗り場です。南の旅はやはりフェリーがつきものです。学生時代に自転車をフェリーに積んで沖縄や石垣島など数多くの離島へも足を運んだ影響なのか、フェリーに漂う旅の雰囲気が大好きです。この八幡浜港に着く直前、私達の前で車が止まり、中から小学生高学年と思われる男の子が「九州へ行くんですか?頑張ってください」と言って、ビン詰めされた愛媛の自家製のオレンジジュースを渡してくれました。途中の市場で道を尋ねた時に近くにいらっしゃった家族の方々が、わざわざ自動車で我々を追いかけてきて、励ましてくれたようです。車は母親が運転し、弟さんとみられる小学生が1人のっていました。御礼を言って、オレンジシュースを頂戴しました。その後、車は、Uターンして逆方向に戻っていった次第です。今回の旅、こうした多くの方々からの熱い気持ちや声援を頂戴する機会が多く、とても励まされました。学生時代から続けている自転車旅は人と人とのふれあいをいつも感じることができます。このふれあい平和な社会の原点だと思っています。多くの方々、暖かいお気持ちをありがとうございました。




台風9号の影響でしょうか、貸切状態の2等船室です。通常、船酔いはほとんどしませんが、電話をしていたらめずらしく酔ってしまいました。やはり、かなりシケていたようです。そんな時は、ただただ寝るのに限ります。




台風9号の向かい風の影響で、思うように走れず予定の時刻のフェリーに乗ることができませんでした。そのため、大分県臼杵に上陸した時は、真っ暗でした。時間は、9時前でしたが、10時にコンビニがしまってしまう街です。9時には街の街灯も消え、夜中のような雰囲気でした。そんな遅い時間に到着したわけですが、宿では食事をしっかり用意してくれていて、倅がいることも考慮して、子供が大好きなカラアゲなども追加で用意してくれた次第です。マニュアルのない臨機応変の対応、地方の小都市ならではのサービスでした。翌日の朝食もとてもおいしかったです。




個人情報保護違反 第2弾(笑) 食事して、風呂にはいったら、この通りです。せめて布団の上で寝ろよ!、って感じです。ま、しばらくこのままで寝かせてあげましょう。






この日は、今回の旅で、最も距離が長く、キツいルートを走行する日でした。臼杵から大分県入りして、阿蘇の街まで走ります。途中、西日本新聞社さんの取材などがあり、それに予定していた以上の時間がかかったりして大変な日となりました。何より、臼杵から阿蘇までのルートの私自身の読みがあまく、それがハードな1日とした一番の原因です。距離は計算していきましたが、起伏については、今までの経験からおおよそのイメージだけで持っていたのですが、思っていた以上に登りが連続し、かなりシンドイ走行を余儀なくされてしまったわけです。事前にもう少し地形図を確認しておいたり、ネットで情報収集しとけば良かったとも思いましたが、ただ今思えば、逆に調べて状況を知ってしまっていたならば、ルートを変更することになっていたかもしれないので、その厳しさを知らずしてトライできたことの方が良かったように思えます。いずれにしろ、かなりハードな1日で、永年、国内外あちこち自転車で駆けていた私にとっても数ある思い出深い日の1日にリストアップできる日となった次第です。まして倅にとっては、かなりインパクトのある日となったのではないでしょうか。




熊本県の県境まで行けば下りになると思って頑張りました。残念ながら、県境を越えても上りは続き、陽もご覧のように暮れてきた次第です。阿蘇までの道のりは遠かった。倅も開き直り、地面に座り込んで、ポテトチップスなどを食べ始めました。




ついに陽はどっぷり暮れて真っ暗になってしまいました。夜間に走行することを想定していなかったのでバックランプなどを装備しておらず、後ろから猛スピードで走り寄ってくるトラックや乗用車にビビリながら道路脇を走行しました。山道ですので、当然、街路灯などは一切ないため、目の前がまったく見えない状況で自転車を押して上ったりしていたので、何度もガードレールなどに激突しながら前に少しずつ進んでいた次第です。時間はすでに午後8時を過ぎており、本当に今日中に阿蘇に着けるのか不安でしたが、対向車の自動車の中には、Uターンして戻ってきて、何かのトラブルかと気遣ってくださり、車を止めて降りて声をかけてくださる方もいて、心強くもありました。時間が9時30分を過ぎたころ、やっと阿蘇に向けての下りに入り、倅とともに雄叫び?をあげながら、峠の下り勾配をかっとんで降りていった次第です。峠の途中から見えた阿蘇市街の夜景は倅も一生、忘れないのではないかと思います。宿についたのは、午後11時前。当然、食事はありません。11時まで営業のコンビニに駆け込み、カップやきそばやパンを買い込み、倅と祝杯をあげたあと、腹にかっこみました。倅はカップやきそばを少し口に運んだあと、1分だけ寝る、と言って倒れ込んだまま、そのまま寝入ってしまいました。この日の宿の様子の写真を一枚も撮っていないことにあとで気づきましたが、それだけ二人とも疲れていたのだと思います。阿蘇までの峠道を上っている時、倅が私の後ろで独りで叫んでいた言葉が忘れられません。「今日、日本中、いや世界中で一番長く自転車に乗っていたのは間違いなく俺だ~!絶対、間違いない」 そうですね。午前7時から午後11時まで自転車で走り続けていたアホはおまえと俺だけだよ。間違いない」二人にとって忘れられない1日となりました。




昨日のハードな1日から明けて本日は、熊本市内を抜けて、いよいよ長崎県のはずれ、島原に向かいます。標高の高い阿蘇から海抜0メートの熊本港に向かうわけで、圧倒的に下りが多いルートと想定していましたので、気分はかなり楽でした。バックは雲がかかっておりますが世界最大級のカルデラで有名な阿蘇になります。




予想通り、前半は下りが多く、快適でした。こんな整備された歩道が全国に広がっていたら、自転車の事故も少なくなるだろうし、自転車で旅をする人も多くなるでしょうね?そりゃないか・・・。




この日、熊本市内ではじめて大雨にさらされ、少しだけブルーな気分になってしまいました。レインスーツがあっても、やはり雨は降ってほしくないです。倅のレインスーツ姿もだいぶ様になってきました。この日は今回の旅程の中で一番ゴージャスな宿に宿泊するので、それを楽しみに頑張って走りました。




今回、最後のフェリーの乗船です。乗船時間も距離も短い熊本島原間のフェリーで、出港間際にチケットも買わずに飛び乗りました。お盆で帰省ラッシュのせいか、大変混んでいたのが印象的でした。きっと熊本や大分などに働きに出た人が海を越えて長崎への帰省に利用しているのではないでしょうか。そういえば青函連絡船みたいな雰囲気がありました。




今回の旅程で、一番ゴージャスな宿がこの島原での宿です。部屋は普通の部屋ですが、温泉の露天もあり、倅も疲れをしばし忘れてはしゃいでおりました。海を見ながらの露天風呂、倅も満足のようでした。






さあ、本日はいよいよ有明海を横手に長崎に向かいます。この日びっくりしたのは、テレビをつけていたら朝7時前のNHKニュースで我々が本日、長崎へ向かう、というニュースのテロップが出ていて驚かされました。そう言えばNHKのスタッフに電話で予定を聞かれていたのを思い出した次第です。史跡多い島原にせっかく来ているので市内を少し散策しました。有名な「鯉が泳ぐ町」にも足をのばしました。




島原城です。見たとおり、とても美しく、優雅な雰囲気を持ち合わせていました。




バックは雲仙岳です。雲がかかり最後までその全景を拝むことができませんでした。




長崎にむけてペダルの回転もアップしていきましたが、ルートにアップダウンも多く結構しんどい状況でした。画像で見ると大した勾配に見えませんが、実際は、かなりの急勾配で、それが延々と続いているので、その様子をみてすでにめげている倅です。




気温は40度近くの炎天下。そこを自転車で走り続けるわけで、かなり物好きか、変態でしょう。我々はどちらかというと変態の部類だと思います。完全にアゴがあがってしまっている情けない姿の倅です。




でも頑張ったら、たまにはご褒美。ガリガリ君でも食べなきゃ、身体がもちましぇん(笑)。そう言えばこのコンビニでも店長さんと思われる方が、我々の姿を見て、冷凍ポカリなどを差し入れしてくれました。優しい人ばかりです。




いよいよ長崎に近づいてきました。後ろに見えるのは、有明海ではありません。東シナ海です。遂に東シナ海を見下ろすところまで来たんだな~、と思うと胸にこみ上げてくるものがあります。




出た~、やっと出た~!長崎まであと18km。






山を越えて長崎市内突入です。あと少しですが、それなりに疲れも出てきている様子を伺えます。





あとひと山越えれば長崎突入です。少し余裕が出てきました。



8月15日終戦記念日。ついに到着です。長崎平和祈念像。思ったよりも記念像が大きいのが印象的でした。犠牲者のご冥福と恒久平和に手を合わせて参りました。



爆心地公園にて。

                                      長崎原爆資料館








平和記念像前で新聞社の取材を受けました。倅も昨年に比べるとにこやかに対応していたようです。すこしずつでも成長しているんでしょうね。


今回の自転車旅についての新聞記事になります。
自転車旅内容補足のため、厚かましくも載せさせて頂きました。ご了承ください。


読売新聞8月16日朝刊

       

長崎新聞8月16日朝刊


  朝日新聞8月16日朝刊

 西 日本新聞8月16日朝刊






長崎は日本で一番、自転車屋が少ない街として有名です。(実際はわかりせんが)しかし、自転車が圧倒的に少ないのは事実です。自転車が走っている姿はほとんど見かけません。時々、見かけるのは、観光客が持ち込んでいる折り畳み式のミニチャリです。確かに長崎市内を走行してみて、一部を除き、とても坂が多く、多いだけではなく、その勾配が急で自転車が走行しずらい環境です。正直、こんな街もあるんだな~、と思った次第です。街全体が山、丘、海に四方をに囲まれ、趣のある街だと感じました。広島もそうでしたが、市電が走行している街には、街の歴史を感じさせる独特の雰囲気があり、それがとても魅力的に感じます。無機的で効率だけを追求している感じがする東京などの街に比べると街自体は活動的でありながらも、生活面ではしっかりスローな部分も持ち合わせている感じを受けるのは私だけでしょうか。




長崎の8月15日は全国的に有名な「精霊流し」の日です。さだまさしさんの曲のイメージがあったので、とても厳かな雰囲気の中で催されるものなのか、と思っていたのですが、現実はそのイメージと大きく異なりました。現在は、以前の姿ではなく、厳かな雰囲気の中で行われるものではなくなり、その激しさに少し驚かされた次第です。今年はさだまさしさんのお父さんも新盆で、さだ家も舟を出しておりました。さだまさしさん本人が舟を引き連れていたこともあってより盛り上がっていたようです。是非、みなさんにも一度、体験して頂きたい催しだと思いました。(倅が耳にしているのはイヤホンではなく耳栓です。私も生まれてはじめて耳栓を購入しました。この日は、あちこちで耳栓を販売しております)




長崎からは東京まで飛行機で約2時間弱です。行きは広島まで夜行バスを利用しました。3列シートの快適なタイプです。飛行機で東京へ戻るのが簡単ですが、倅に聞いたところ、新幹線で帰る方が楽しそうだ、ということで効率は一切無視して、長崎から列車で東京まで向かうことにしました。長崎から東京まで特急とのぞみの乗り継ぎで約7時間半ほどです。せっかく九州まで来て、列車で帰ることにしたので、どこかに寄っていきたいと考えていました。できれば弥生時代の遺跡である佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」に立ち寄っていきたかったのですが、残念ながら、どう計算してもゆっくり見学できるようなスクジュールを組むことができませんでした。よって、のぞみを乗り継ぐ福岡で博多見物に切り替え、福岡タワーなどへ出かけることにしました。




福岡タワー前にて。展望台はそれほど広くないですが、福岡の町並みや、金印で有名な志賀島なども遠望することができ、天気も良かったので、足を運んで良かったと思いました。歴史的にも九州の地は、大昔から大陸や朝鮮半島とのつながりが強く、多くの異国の方々が歴史的におとづれて、一種独特な雰囲気を醸し出していると思います。まさに長崎などはその典型だと思います。今回、訪れた福岡も表面的にはあか抜けた大都市のイメージがありますが、観光地は圧倒的に大陸、朝鮮半島からの外国人(つまり中国人、韓国人のことです)が多く、それだけを見ても異国との距離感を感じさせない雰囲気を感じました。




いよいよ、九州ともお別れです。博多からのぞみで東京へ向かいます。九州の締めとして、とんこつラーメンを食べてきました。倅も私もラーメンが大好きなので結構楽しみにしておりました。時間がなく、あれこれ選別している余裕はなく、博多駅内のお店で食してきましたが、結構、これがいけました。やっぱり本場はその「らしさ」がありますね。二人で完食しました。話は変わりますが、このお店で食べている時に、年輩の方に声をかけられました。私は、はじめて話をする方でしたが、倅は長崎の記念像の前であれこれ話をしていたようです。この年輩の方は、他の仲間と徒歩で詩の朗読活動をしながら広島から長崎まで歩いて来られました。この方に限っては、ずっと自転車で各地を回られているようで、今回も途中まで荷物担当で自転車で走ってこられたようです。そのため記念像前で取材を受けていた倅に声をかけて、知り合ったそうです。その方が偶然、ラーメン屋を通りかかったら、私たちの「和を駆ける」Tシャツが目に入り、すかさず声をかけてくれたそうです。倅と年輩の方は偶然の再会を喜び、私も名刺の交換させて頂き、後日、連絡をとらせて頂くことにしました。Tシャツを見て声をかけてくれる方々はとても多いです。島原では、NHKのニュースを見て、国道で待機し、我々に飲み物を用意してくれていたコンビニ経営のご夫妻もTシャツを目印に待ってくれていました。Tシャツ全面にプリントしてある「板橋国際交流旅団」の文字も効果的です。国際交流旅団の部分はとりあえずおいといて、「板橋」の文字は効果があります。不思議と地方にいくと、この「板橋」の文字を見て、東京の方々が親近感をもたれるのか、声をかけてくださります。以前、欧州をまわっているとき、韓国語、中国語、インドネシア語などで声をかけられることがよくあったので、めんどくさいので自転車のバックに「TOKYO」の文字を記載したら、韓国人や中国人などのネイティブから声をかけられることがなくなった経験があり、旅で出身地をオープンにすることは決して悪いことではなく、むしろあからさまに公開していくことでより充実した旅を続けられる感じがしました。ひどい時は、日本人に英語で「Can you speak English?」などと聞かれることもありましたら。それも一度や二度ではありません。それ以来、旅をする時は、出身地などをオープンにするようになってしまい、それが今につながってしまっているのだと思います。いずれにしろ、今回の旅においても多くの人と出会うことができ、また様々な形で応援して頂き、心から感謝している次第です。皆様の温かいお気持ちを大切にして今後につなげて行きたいと思います。


「旅を終えて」

 沖縄、広島、長崎とそれぞれ毎年、終戦の日に現地で手をあわせてきました。終戦の日の様子に東京とは微妙な温度差があるような気がしております。東京では終戦の日に式典は行われますが、黙祷する姿は街ではみられず、中学生や高校生などの中には、そのことすら知らない、というような新聞記事もありました。東京も大空襲で焼け野原になってしまい大きな犠牲を強いられた戦跡地でありながらも経済効率優先などの理由から終戦の日が終戦の日ではなくなってきているのでしょう。今夏、長崎での終戦の日における黙祷を促すサイレンは、街中に鳴り響き、周りの人々は頭をたれ、街全体で終戦の日を受け止めている感がありました。二度を同じ過ちを繰り返さないためにも、1年に一度ぐらい過去の過ちを振り返り、多くの方々の犠牲の上にある現在の平和な世の中に感謝していきたいと思います。そのことで悲惨な戦争が風化していくことはなく、我々を含めたこれからの世代が同じ過ちを繰り返さず、恒久的な平和を後世に残していくことにつながれば、と願う次第です。そのために、無理せずできることを、できる範囲でしたいと思っています。

 沖縄、広島と2年間、一緒に走った長女が今年から中学生になり、予定通り、自分の道を自分自身で歩き始めました。仮に来年、自転車で長男と「男旅」をすることがあってもそれが親子自転車旅のラストランになると思います。私自身も来年は大台?にのり、持病の膝も悪化してきているようですので、今後、あまり無理はできそうもありませ。長男も再来年には小学校を卒業して、長女と同じように自分自身の世界を目指すことになると思います。今年で親子自転車旅は終了するかもしれませんが、何らかの形で自転車や恒久平和へのアプローチに間接的にでも携わっていければ、と思っております。今回、多くの方々に応援して頂き、人と人とのふれあいの大切さを改めて感じました。謹んで御礼申し上げます。また親のエゴで引っ張り回してしまった倅にも感謝したいと思っています。正直、倅と一緒じゃなかったら、しんどくって自転車を放り出してさっさと東京に戻ってきていたと思います。梨駆~、サンキュー!



長々と私事の報告におつきあい頂き、ありがとうございました。
本ページ、もう少し見栄え良く 作成したかったのですが、時間もセンスもなく、
殺風景なページとなり残念です。また一気に記してきたので誤字、脱字など
多々あると思います。お許しください。

季節の変わりめですので
お身体を大切にしてお過ごしください。

   旅のご報告まで。  
                            
 2010年8月記(2017年6月加筆




   「和を駆ける」
(親子自転車旅編)
自転車で行ってみよう
東京の戦跡・資料館など
 
   
 「親子自転車旅のすすめ」 
東京図書出版

著者自身の体験をもとに
親子自転車旅の素晴らしさを
伝えたい。なぜ親子自転車旅を
すすめるのか、なぜ自転車なのか。
一緒に走った思いでは一生の宝物。
さあ、お子さん、お孫さんと出かけ
ましょう。

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